晴れた日の昼間に輝く太陽は、丸い形をしています。しかし数年に一度、丸いはずの太陽が晴れた日の昼間でも見えなくなったり、部分的に欠けて見えることがあります。太陽が月によって覆われる現象で、朔の時に起こります。この「日食」とは、非常にめずらしい現象なのです。日食はかつて日蝕と書かれ、今でもこのように書かれることがあります。蝕む(むしばむ)という文字の通り、日食は太陽が月によって隠される天文現象です。日食には太陽全体が見えなくなる「皆既日食」、太陽が輪っかのように見える「金環日食」、太陽の一部が欠けて見える「部分日食」があります。
それでは、日食はどうして起こるのでしょうか?それは、地球や月の動きが関係しています。地球や月などの天体が他の天体のまわりを回ることを公転といいます。地球は太陽のまわりを公転していて、北極を上にして宇宙から地球を見ると、太陽のまわりを反時計回りに一年かけて一周しています。また、月も地球のまわりを公転しています。月は地球のまわりを反時計回りに約27日間で一周しています。日食というめずらしい現象は、地球と月の公転運動のタイミングがうまく合ったときに起こる現象です。地球と月の公転によって、毎日、太陽・地球・月の位置関係は変化しています。日食は、太陽と地球の間に月が入り、太陽・月・地球の順番に一直線に並んだときに起こります。このとき、地球上の限られた場所で太陽の一部またはすべてが月によって隠され、月の影になった地球の一部分では太陽の光が届かなくなります。月によって太陽の一部が隠されることを部分日食、太陽がすべて隠されて見えなくなることを皆既日食といいます。
大きさ自体は変わらないのに皆既日食と金環日食があるのはどうしてでしょうか?その秘密は、月の公転軌道(公転する道すじ)にあります。 実は、地球から見た月の見かけの大きさが、太陽よりも大きくなったり、太陽よりも小さくなったりしているのです。
月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化します。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食といいます。逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食または金環食というのです。
日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼びます。この場合、いずれも食の最大を迎える前と食の最大を過ぎた後に分類されます。
中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食が見られます。半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともあります。
月が太陽を隠しきれず、太陽が輪のように見えることがあります。これが金環日食です。場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食と呼びますが、頻度はかなり低いです。
日食の経過をそれぞれまとめてみました(・∀・)
地球は太陽のまわりを一年に一回公転し、月は地球のまわりを約27日で一回公転するわけですから、太陽・月・地球が一直線に並ぶことによって起こる日食は一年に何度も見ることができそうに思えます。しかし、実際には皆既日食や金環日食は十年から数十年に一度、部分日食ですら数年に一度しか見ることができません。なぜでしょうか?それは地球の公転軌道と月の公転軌道が約5°傾いているため、太陽・月・地球が一直線上に並ぶことはめったにないからです。太陽・月・地球が一直線に並んだ場合でも、月の直径は地球の約4分の1しかなく、月が落とす影は地球よりもずっと小さいので、日食は地球上の限られた場所でしか見ることができないのです。だから日食は非常にめずらしい現象として、見ることができる場所では大きな話題となるのかもしれません。
古代において、日食は重大な関心を持たれていました。1183年の治承・寿永の乱の水島の戦いでは戦闘中に金環日食が発生し、源氏の兵が混乱して平氏が勝ったと源平盛衰記などの史料に記されています。当時、平氏は公家として暦を作成する仕事を行なっていたことから平氏は日食が起こることを予測しています。それを戦闘に利用したとの説があります。中国においては1994年に存在が確認された「上博楚簡」と呼ばれる竹簡の中に『競建内之』と称される物があり、斉の桓公が皆既日食を恐れて鮑叔の諫言を聞いたという故事が載せられています。『史記』においては専横を敷いていた前漢の最高権力者呂后が日食を目の当たりにし「悪行を行ったせいだ」と恐れ、『晋書』天文志では太陽を君主の象徴として日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説していて、予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれています。中国の日食予報は戦国時代から行われていたが、三国時代に編纂された景初暦において高度な予報が可能となりました。このため、日本の朝廷でも持統天皇の時代以後に暦博士が日食の予定日を計算し天文博士がこれを観測して密奏を行う規則が成立しました。養老律令の儀制令・延喜式陰陽寮式には暦博士が毎年1月1日に陰陽寮に今年の日食の予想日を報告し、陰陽寮は予想日の8日前までに中務省に報告して当日は国家行事や一般政務を中止したとされています。六国史には多くの日食記事が掲載されていますが、実際には起こらなかった日食も多くあります。ただしこれは日食が国政に重大な影響を与えるとする当時の為政者の考えから予め多めに予想したものがそのまま記事化されたためと考えられ、実際に日本の畿内(現在の近畿地方)で観測可能な日食(食分0.1以上)については比較的正確な暦が使われていた奈良時代・平安時代前期の日食予報とほぼ正確に合致しています。
江戸時代の1839年には、金環食が発生しました。幕府の役人は従来の中国式の予測時刻と伝来したばかりの西洋式の金環食の予測時刻、2種類の計算を行い、築地の海岸で観測を行いました。西洋の方法での予測が的中し、見える位置、時刻ともに正確だったそうです。以降、西洋の天文学が日本で急速に広まっていきました。
ある観測地点が月の影に入ると日食が見られますが、月の影は太陽の光が届かなくなる本影と、光の一部が届く半影があります。
茂る木の葉の間から差し込む太陽の光を「木もれ日」と言います。日食で太陽の欠け方を観察するのに、木もれ日を使う方法があります。くさんの葉が茂った木は、葉と葉の間に隙間ができます。この隙間を通った太陽の光が地面に達すると、太陽の形が映し出されます。これを使って日食を観察しようというものです。天然のピンホールと思ってください。そもそもピンホールは、ギリシャのアリストテレスが木もれ日に映る日食中の太陽像を観察して発見されたものです。
葉と葉の間にできた小さな隙間はいくつもありますから、欠けた太陽がいくつも地面に映し出されます。普段なら太陽は丸い形をしていますが、日食中は食の進行に合わせて、欠けた太陽が映し出されます。また、木の葉が風に揺られると、いくつもの欠けた太陽も揺れて、なかなかおもしろいですよ。記念に木もれ日を写真撮影! なんていうのも楽しいでしょう。
2012年5月21日の日食の際には、JAXA(宇宙航空研究開発機構)宇宙教育センターで、みんなで木もれ日を撮ろうキャンペーンが実施されました。こうしたイベントに挑戦してみるのも楽しいと思いますよ。